第三話『病室にて』 香月先生はある病室の前で立ち止まった。 俺もそれに倣い、先生の半歩後ろで歩みを止める。 「それじゃあ……後でね」 先生はそう言うとその病室の中に入っていった。 これは俺が涼宮さんの見舞いに来るときの約束事みたいなものだ。 涼宮さんが昏睡状態(と言うほど深刻ではないらしいが)になってもう三年になる。 突然起きるなどということは無いと思われるが、やはり三年間という空白は少なからず彼女にショックを与えるだろうから、 彼女が目を覚ます可能性が見られるときは家族か香月先生が立ち会うのだ。 友人以下に近い関係の自分が病室に入る場合は先に先生が入り、その兆候が見られないことを確認してから病室に入ることが許される。 俺としても病室に誰か居るときに見舞いに来るのは憚られるので先生が事前に室内の確認をしてくれるのは願ったり叶ったりなのだ。 そのおかげで、会うのに気まずかった茜ちゃんとも長い間会わずに済んだわけだ。 まあ、あんな形で出会うとは思わなかったけど…… 数十秒経ってからドアノブが回る。 隙間から先生が顔を出し 「入っていいわよ。」 その声に促され病室に入る。 この瞬間だけ俺は少し臆病になる。 まるで悪戯を見つけられてしまった子供のような気分だ。 それは自分の心の深いところでいけないことをしていると理解しているように…… 入ってすぐに目に入ったのはベットとそこに横になっている一人の女の子だ。 いや、『女の子』という表現は正しくない。 すでに彼女は成人を迎えている。 『女性』というほうが世間一般には正確だろう。 でも彼女はいつまでたっても『女の子』。 彼女の時間が三年前から止まってしまっているから…… 備え付けの椅子に腰を下ろし、静かに寝息を立てている涼宮さんの横顔を覗く。 いつの頃からだろう……彼女の髪は長く伸び、頬もこけてしまっている。 「………」 「体温も脈拍、その他の検査も正常。いつ目を覚ましてもおかしくない。」 「……でも、目を覚まさないんですよね。」 「ええ……」 香月先生はこちらを見ず、窓から外を眺めたままだ。 そこには、彼女に対してこれ以上何も出来ない医療の限界、自分の医者としての無力みたいなものが感じられた。 そんな姿を俺は五年前にも見たような気がする。 あの時は友恵のこと以外何も考えられなかったガキだったから気付けなかっただけ。 それに今は俺もあの時より少しは成長している。 こんなときに慰める言葉は依然、頭の片隅にも浮かばなかったが、分かっていることはある。 「でも、生きているだけ良かったです。」 もし、家族の人が聞いたらぶん殴られそうな言葉を俺は平然と言ってしまった。 先生もその言葉で視線を窓外から俺に向ける。 「………」 少し、怒っているような雰囲気。 当たり前だ。 俺はここではまったくの部外者。 先生の厚意がなければこの場にさえ居られない。 でも、これだけは譲れない。 これが五年もかけて俺が出した結論だから、間違っていてもそれを信じる。 「生きていれば起きる可能性は幾らだってあると思うんです。 希望的観測でしかないのかもしれないけど……。 死んじまったらそんな可能性さえないんです。 姿を見ることさえ出来ない。 触れ合うことも出来ない。 もちろん……温もりなんて……あるのはただ後悔だけ……」 「……ごめんなさい」 先生は伏せ目がちに謝ってくれた。 きっと俺の言いたいことも分かってくれたのだと思う。 「いえ、俺の方こそ生意気言ってすいません」 「あなたや彼女を思えばそう思いたくなるわね」 そのまま俺も先生も黙ってしまった。 外の波の音が大きくなったような気がした。 「そういえば……今俺、白陵柊で教育実習生やってるんですよ」 この場の雰囲気を変えるために自分の近況報告をしてみたりする。 あのまま黙ったままだと、先生にも迷惑だし、眠っているとはいえ涼宮さんにも悪い。 「そこで……茜ちゃんに会いました」 「……そう。あなた、妹さんとも知り合いだったわね」 「はい。あんまりにも大人っぽくなっていたからビックリしました」 「あのくらいの年頃の女の子の成長は早いわよ。 ……まあ、これであなたが妹さんにここで会わないようにしていた理由が分かったわ」 「……スイマセン。やっぱりなんか、どんな顔して会えばいいか分からなくて……。 それでもまさか、あんな形で再会するとは思いませんでしたけどね」 そのまま俺の話はある程度順調に盛り上がって、さっきまでの妙に重い雰囲気は消えていた。 先生は窓際から身を離し、時計を見る。 「そろそろ時間だわ。回診も途中だったし……」 「お手間かけさせてすいませんでした。」 「いいのよ。あなたとの話はいろいろ新しい発見があって面白いから……」 俺は椅子から立ってドアへ向かった。 先生の後から部屋に入り、先生より先に出る。 香月先生がいるときだけ、俺はここにいられる。 「それじゃあ……」 先生に別れを言って部屋を出ようとしたとき 「あ、ちょっといい?」 先生に呼び止められた。 「なんですか?」 「さっきあなたが話してくれた教育実習の担当教師のことなんだけど……悪気は無いと思うわ。 ただ快楽第一主義者みたいなところがあるから、あなたのこといいカモだと思ったのかもね。」 「はあ……」 突然の有り得ない内容で俺は空返事しか出来なかった。 「でもね。彼女は気に入った人物以外にそんなことはしないから……。 まあ、彼女に気に入られたって時点で充分不運ではあるけど……」 先生は何故香月先生のことそんなによく知ってるんだ? んっ!コ・ウ・ヅ・キ!? 目の前にいる人は香月モトコ。 その香月モトコさんが話している人物の名前は香月夕呼さん。 ……ウムっ!!もしかして俺はとんでもなく鈍感なのか? 今までこんなことにも気付かなかったなんて…… 「もしかして先生は夕呼先生の……」 「たまには顔でも見せなさい……って言っといてくれると嬉しいかな。それじゃあ……」 バタンとドアが閉められる。 すぐにドアを開け、問い詰めたかったけど、俺と入れ替わりに二人の看護婦さんが部屋に入っていったのでそれも出来なかった。 ……でも、 なんか俺、香月って姓にトラウマを受けてしまいそうです。 依然、ロビーには人がたくさんいた。 時間的にはこの時間の来客が一番多いのだろう。 すでにここでの目的を終えた俺はただ立ち去るのみ。 このまま友恵の墓参りに行ってもいいかな…… そんなことを考えながら玄関に向かっていると 目の前にある人物がいた。 「あ……」 その人物は俺を確認するなり、丁寧に会釈してくれた。 あげた顔がさっきまで見ていた寝顔に重なった。 「毎回、娘の見舞いに来てくれてありがとうございます。」 「いえ、一ヶ月に一回程度しか来ないんですからそんなにかしこまらないで下さい。」 それでもどこか遠慮した風は抜けず、お互いに気まずい雰囲気が続く。 「今では娘の見舞いに来てくれる方は、私たち家族を除いて村上君ぐらいなんです。 私には君がここに来てくれることが、あの子が病院外で忘れられていない証拠の様に思えるのです。」 「そんな……」 自分ではそんな大それた事をしているつもり無い。 この見舞いはほとんど、約四年前に俺を助けてくれた彼女への感謝の気持ちからだ。 その『助けてくれた』って事でさえ俺の勝手な思い込み。 彼女はそんなこと微塵も思っていなかっただろう。 「これからも暇がありましたら、遙の顔を見てやってください。」 それでは……と涼宮さんのおばさんは軽く会釈して俺の横を歩いて行ってしまった。 「あの……」 おばさんが俺の声に気付いて歩みを止め、こちらを振り返った。 「どうしましたか……」 「……あ、いえ。また来てもいいですか?」 馬鹿だ。 さっきおばさんは来てもいい見たなニュアンスの事を言ってくれていたのに、 それをまた聞きなおすなんて時間の無駄以外のなんでもない。 それでも 「はい、あの子、返事をしてくれませんけど村上君のような友人が来てくれること喜んでいるに違いありませんから」 淡い笑顔で承諾してくれた。 おばさんは今度こそ本当に病院の奥へ消えていった。 俺はまた見舞いに来てもよいという許しを得て安心するのと同時に、ここにはやっぱり一ヶ月位来れない事を無意識下で感じていた。 どうしてかここから先は俺は場違いでしかない気がしてならなかった。 そんな考えを振り切るように俺は病院に背を向け、暑い日差しに挑むように歩き出した。
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