
『陽炎の街』 本日の夏期講習が終わったことを夕呼先生に伝えた後、橘町に足を向けた。 直帰っていうのもつまらないと思っての考えだったのだが…… 快適な電車から降りて、改札を抜けるとそこは陽炎が見えるほどに熱く焼けたアスファルトの道。 それを見るだけで背中にじめ〜っと汗が噴出してくる。 ヤベェ……もう帰りたくなってきた。 でもここまで来るのに払った電車賃もなんだか勿体ないし…… そういえば以前、朝倉が美味い珈琲を出してくれる趣のある喫茶店があるっていってたな。 とりあえずそこを探してみるか。 で二時間経過。 ああ、お日様は元気だね。 そんなに毎日働かなくてもいいのに…… まあ、そんな炎天下の中歩き回っている俺も俺なんだけどね。 本当……何処に在るんだよ、喫茶店は!! うろ覚えで探しているのが悪いんだろうけど、今思い出してみても朝倉の説明が親切だったかというとそうでもない。 『駅を出てまっすぐ行って、右に二回、左に三回曲がったところです。』 だったと思う。 ……っていうか今の説明のまま歩くと曲がる直前の地点に戻っちまわないか? 今更ながら朝倉に嵌められた感が否めない。 クソッ!! なんだかアイツがしてやったり的に笑っている顔が頭に浮かんでくる。 今度、出会い頭でクロスチョップかましてくれるわ!! そんな朝倉への恨みを大切に心に刻んで、とりあえず目の前にあった『スターワックス』に入った。 遠くの喫茶店より近場のチェーン店だよな。 大衆公認の旨さ、万歳!! 店員の爽やかな挨拶を受けながら俺はクーラーの効いている快適な店内に入った。 とりあえず適当に空いている席に座って珈琲を頼む。 アイスではなくホット。 冷房をガンガンに効かした空間で暖かい飲み物って何か良いよね? コタツに入ってアイスを食べるのと同じ位置づけだ。 そんなどうでもいいことを考えながら、外の灼熱を眺める。 学生は夏休みだとしても社会人には関係なしで、平日でも普通にスーツ姿が道を行きかっていた。 「『将来をちゃんと考える』……か」 この間の誠也の問いが頭の中で反復される。 目的もなく今夏を過ごす大学生の俺。 学生の様な長期休暇もなく普段と変わらない社会人のスーツ姿。 まるで喫茶店の大きなガラスが冷房の効いた室内と炎天下の灼熱とを別世界にしているように感じた。 「んっ!?」 喫茶店の向かいにあるスポーツジムを見つめるOL風の女性がいた。 両手には重そうな紙袋。 この暑さの中ご苦労なことで…… でも、俺も二年後はあんな風に夏休みなんて無いのが当たり前な一社会人として過ごしているのかな? むむ……まったく想像できないな。 女性はまだスポーツジムの中を見続けている。 どうやらジム内は水泳のようだ。 この暑さだ。 水の中にいられるのはとても気持ちいいと思う。 彼女もそんな事を思っているのか? それとも水泳に何か思い入れがあるのか? そんな風に思わせるほど彼女は身動きせずにジッとジム内を見続けている。 ここから顔は見えないけど、何か切なさを感じさせる背中だ。 どれほどの時間が経った頃だろう。 実際の時間にしたら数分にも満たないかもしれない。 けど、俺が彼女を眺めていた時間はとても長く感じる。 彼女は思いを振り払うのかのようにジムから顔を背けて歩き始めた。 顔は人混みに紛れて見えなかった。 彼女は歩みを速めた。 そんなにあの場所から遠ざかりたいのか? 見つめ続けたり、逃げるように去ろうとしたり……よく分からないな。 まあ、人の気分なんてそんなものか。 少しヌルくなっていたコーヒーを口元で傾けながら彼女の去る背中を見納めようとしていたとき…… って、コケた!? 紙袋から何かの試供品が道にばら撒かれる。 転んだ彼女には怪我は無かったようですぐに起き上がり、散らばってしまった試供品を拾い始めた。 だが、如何せん数が多い。 彼女は必死に掻き集めているが横を通り過ぎる社会人の波に邪魔されて思うように回収できないでいる。 誰も彼女に手を貸そうとしない。 「まったく……、世知辛いな。世の中ってのは……」 面倒くさいと思いながらも椅子から腰を上げる。 彼女がこける前から見ていてしまったのも何かの縁だ。 見てみぬフリは出来そうにないし…… 手を貸してやるか。 ……断っておくが別に不純な目的がある訳じゃないからな。 店内から出た瞬間、茹だる様な熱気が体に纏わり付く。 ああ、こんな暑さの中で独り拾い物をするなんて精神的に辛いだろうな。 さっさと手伝いに行ってやるか。 「大丈夫ですか?」 まあ、当たり障りなく声を掛ける。 彼女が俺の声に気が付いて顔を上げる。 「えっ!?」 「へっ!?」 お互い、変な顔をしていただろう。 「村上君……」 「……速瀬さん」 炎天下、周りは道行く人の波。 思わぬ人物との出会いに俺の頭は灼熱の日に照らされたアスファルトの如くオーバーヒートを起こしていた。 だってこんな所で出会うなんて思いもしないだろ? 「………」 「…………」 一体、俺は何をしているのだろう。 そう思いながら目の前のテーブルで汗を掻いているアイスコーヒーのグラスを手に取り、口に持っていく。 ………味が分からん。 もうコーヒーも残り少ない。 いつまでもこのままって言うのもマズイ。 なにか話さないと……誘ったのはコッチなんだから。 ヌウ……、こういう時はどんな内容の話をすればいいのだろう? 日頃のボキャブラリーの少なさに呆れるよ。 こんな事になるのなら誠也のコンパの誘いを断るんじゃなかったな。 そういう経験も大切なんだなぁぁ……って本当に思わされるよ。 なんて自分の頭の中だけで思考を廻らせている場合じゃなかった。 対面の速瀬さんはこれ以上無いってほど居心地の悪そうに感じているようだった。 ソリャそうだ。 偶然、街中で久しぶりに出会った同級生だからって俺と彼女はさほど仲が良かったわけじゃない。 逆に一緒にいて気まずい、というか嫌われていたと言っても過言じゃないだろう。 あの丘での出来事を思い出せば当然だな。 ええい!!当たって砕けろ!! 嫌われているのならこれ以上関係が悪化する事もない。 会話の内容なんて出たトコ勝負だ!! 「えっと……」 「なに?」 「同窓会以来だな」 「うん」 「あの時は話出来なかったし……こうやって会うのも何かの縁ってことで……」 「そうだね」 「もしかして……忙しかった?仕事中に強引に誘った感じになっちゃったし……」 「ううん。後はこの荷物を会社に持って帰って終わりだし……。正直、時間持て余してたところなの」 脇に置いてあった紙袋を持ち上げて見せてくれた。 紙袋の中はさっき二人で拾った試供品の山が入っている。 ここまで来るのに代わりに一つを持たせてもらったけど、結構な重さがあった。 「でも、そんなに重い荷物を女の人一人に持たせるなんて……」 日本男児?な俺としては見過ごせない自体だな。 ふむ!! なんて冗談混じりに不満の意を体で表現してみせる。 でも、それがこの居心地悪い雰囲気にいい影響があったようだ。 「契約先に持って行く時は先輩の人と一緒だったんだけど、なんか急用が入っちゃったみたいでね」 頑なだった口が少し柔らかくなった感じがした。 「ふうん……」 「でもウチの会社、あんまり大きくなくてさ……私が社の中で一番若いからこういう仕事多いんだよね」 「そうなんだ」 「大変なんです」 「「はははっ……」」 場が和んだ気がした。 そう言えば……速瀬さんと初めて話したときにもこんな感じだったような…… 俺の少なすぎるほどのクラスメイトとの会話。 その一つを今思い出している。 「村上君は今、大学生?」 「うん、まあね」 「楽しい?」 「どうだろ……今は教育実習生みたいな感じで、夏休みだって言うのに毎日のように高校生の相手してるから疲れるかな」 本当のことを言えば楽しい。 夕呼先生に小間使いされたり、いつも騒がしい学生の中で走り回っている自分。 ただ何もしないで垂れ流しのように過ごしていた高校生活よりは充実していると思う。 「ソレって……白陵柊で?」 「ああ、そうだよ」 「……そうなんだ」 速瀬さんは憂いの表情で外に視線を向けた。 その視線が見ている先は行き交う人々を見ているようにしか見えなかった。 「あの頃は……良かったな」 「えっ!?」 その短い呟きを俺は聞き取ることが出来なかった。 「ゴメン、ちょっとこの後に用事入ってるからこの辺で」 「あっ、えっ……」 テーブルに自分の分の会計を置いて速瀬さんは店を出て行ってしまった。 呼び止めようとしたのだけれど、彼女の後姿がそれを拒否しているように思えた。 一人残された俺は誰も居ない対面の席を眺めながら 「時間、持て余してるって言ってたんだけどな……」 などと、ナンパに失敗した軽い男の様な台詞を吐くしかなかった。 今をそれなりに楽しんでいる自分。 以前を良かったという速瀬さん。 この涼しく保たれた店内ではその答えは出ないように感じた。
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