『頑張りすぎのあなたの為に(中編)』


夏休み間際ということもあり、生徒たちの浮き足立った雰囲気が充満している校内。
数年前までその中に自分もその一員だったんだなぁ……
なんて思ってしまうあたり自分も少しは精神的に大人になれたのかなぁって思ってみたり見なかったり……
そう思うのも、成績集計に忙しい夕呼先生の手伝いの為、物理準備室に縛り付けにされているからだったりする。

(っていうか、良いのか?実習生程度に受験間近の生徒の成績付けさせたりして……)

色々危険な考えが交錯しながらも淡々と仕事を片付けていたとき、スライド式のドアが開いたのを耳と目の端で感じた。

「あら、夕……香月先生は??」

入ってきたのは生徒内呼称で「まりもちゃん」こと、神宮司先生だった。
脇に挟んだ資料からするに成績関係での話しなのだろう。
とりあえず、そっちの話を聞かされるのは現状の俺にとっては頭が痛いだけなのでフェードアウトしたいのだが……
そう上手くいかないのがこの世の不条理。
抵抗するまもなく神宮司先生は

「今学期の物理の成績を貰いに来たのだけど……」
溜め息を尽きたのも我慢して夕呼先生に言付かった内容を神宮司先生に伝える。


「成績なんですけど……今、俺が付けてます」
「えっ……それはどういう……」
「なんか夕呼先生に急用が出来たみたいで……『村上、やっとけ!!』という書置きがほぼ白紙の成績表と一緒に俺の机の上に……」
そこで神宮司先生の時間が止まったと事は言うまでもない。
なので、すかさずフォローをば……
「あっ、でも夕呼先生が事前につけてた成績を清書するだけなんでそれほど大変なことじゃないですよ」
まあ、仕事を放棄して何処か行っちまっただけで充分大問題なんだけどな。
「はあぁ……、夕呼もアレも困ったものね……」
「それだけ研究熱心って事ですね」
「まあ、それもそうなんだけど……いいわ、とりあえず今は成績をつけちゃいましょう。村上君、手伝うわ」
俺の机にバベルの塔のように積まれていた成績の山を半分ほど持って夕呼先生の机に座る神宮司先生。
ある程度資料に目を通した後、スラスラと手が動き出していた。
そんな神宮司先生の後姿を見ながら、少し肩の荷が下りた気がした。
実際、学期末の成績表なんて大仕事を教育実習生の俺がやっていいのだろうかなんて不安も在ったり、無かったり……
「本当、有難う御座います」
「いいのよ。本来は夕呼がやらなきゃいけない仕事なんだから……」

「「…………」」

数十分間、俺と神宮司先生は事務的な会話(主に俺が解らないところを先生に聞くって感じ)以外、何も言葉を発さずに黙々と作業を続けた。
神宮司先生が手伝ってくれているおかげで作業のペースも上がり、終わりの目処もたって来た時に突然、

「村上君……ちょっと聞いていい?」
「あっ、はい」
「香月先生のこと……どう思う?」
「はへっ!?」

唐突な質問に声が裏返ってしまった。
きっと今の俺の顔はドッキリを仕掛けられた芸人より面白い顔をしているだろう。

「えっとそれは……どうゆう意味で……」

公言するまでもなく俺はあの横柄天才美女(あえて名前は伏せるぞ……意味ないけど……)に恋愛感情は抱いていない。
というか、夕呼先生自身もそういう風に俺を見ていないに決まっている。
使い勝手のいい奴隷(自虐的)程度にしか思っていないはずである。
傍から見てもそのはずなのに……どうして神宮司先生はそんな質問をするのだろう。
もしや神宮司先生の恋愛が上手くいかないのって……恋愛眼がないんじゃあ……

「何をどうかん勘違いしているのか解らないんだけど……。きっと私が聞きたい意味と村上君が考えている意味は違うと思うわ」
「違うというと……??」
「う〜ん、イマイチ緊張感に欠けて聞きにくくなっちゃったんだけどな」
「スイマセン」


数秒前の自分のアホな思案が恥ずかしい。
とりあえず、神宮司先生が聞きたい内容は低俗な与太話ではなくとても切な問題のようだ。
神宮司先生の方もこの気まずい雰囲気に困っているようだ。
思考を切り替えて真剣に考えて言葉を発そう。
それが今の俺にできる神宮司先生への精一杯の誠意だとおもう

「…………」
「村上クン!?」

俺の突然の切り替わりように戸惑う神宮司先生。

「結構、楽しい……っていうのが正直な感想ですね」
「えっ?どういうこと??」

俺の答えに先生はキョトンとした表情をした。
母性溢れる笑みで作業を手伝ってくれたり、苦笑いしたり、驚いてキョトンとしたり……年上なのにとてもかわいらしいと思わせる人だな、この人は……
これで彼氏がいないのは酒乱のせいじゃ……いや、今は考えないでおこう。

「ごめんなさい。ちょっと解かり辛かったわ」
「えっと……なんていうか、俺ってこの学園に学生として通っていたときはあんまり周囲に対して関心が無かったんですよ。
というか、他のことに気を取られ過ぎていた……」
「……うん」

小さく相槌を打ってその後を柔らかく促してくれる先生。
神宮司先生に相談の生徒が多いって言うのを職員室で聞いたけど……納得だ。

「その『他のこと』って言うのは俺にとって今でも大きすぎて、たまに思い出すと押し潰されそうになるんですけど……。
まあ、友人の助けもあってなんとか現在までやってきた訳なんです」

こういう自分の赤裸々話は色々と古傷を抉る錯覚を受けるけど……
聞き上手な神宮司先生を前にすると俺の軽い口は止まることを忘れたかのように心の内を語り続ける。

「初めて夕呼先生と会ったときは正直、傍若無人としか思えなくてこの人の下でやっていく自信なんてとてもとても……、
そう思ってたんですけどね。嫌々ながらも付き合っていくうちに楽しくなっていく自分がいたんです」
「そういえば村上君が教育実習に来たばかりの頃はかなり夕呼に引っ張りまわされてたものね」

俺は神宮司先生が夕呼先生のことを『夕呼』って呼ぶのをこれで何回目だろう。
神宮司先生は公私混同は避けるため学園内では夕呼先生を『香月先生』と呼んでいるが、
と呼び方が変わる。
いや、きっと名前で呼ぶのがこの人にとって普通で当たり前のことなのだろう。
それほどに神宮司先生と夕呼先生は友人として浅くない付き合いをしてきたに違いない。
だから神宮司先生は心配している。
その心配が明確にはわからない俺だけど、この場で俺の夕呼先生に対する考え、今の俺を取り巻く状況をしっかりと言葉にすることが出来たなら……
もしかしたら、何か解るのかもしれない。
一呼吸……間を空けて口を開く。
黙っていた気持ちが空気とともに漏れ出すようで少し気恥ずかしい。
「夕呼先生と付き合っていくうちに……なんか楽しくなってきたんですよ。毎日が飽きないんです。
何がどうとは明確に言葉に出来ないんですけど、たぶん……俺はこんな学園生活を送りたいと心のどこかで望んでいたのだと思います」

三年前の俺はただ流されるようになんの代わり映えのしない学園生活を送っていた。
それでいいと思っていたし、学園に自分を熱中させるものが無いと決め付けていた。
でも違った。
きっとこんなことは誰もがもっと幼いときに自然に学ぶものなのだと思う。
『楽しむ』、『変わっていくこと』というものは周りの環境から受け入れるものなんかじゃない。
今、自分が立って場所を『楽しく』『変えていく』にはまず自分が動き出さなくちゃいけなかったんだ。
なのに、俺は友恵の優しさに甘え、友恵の死を言い訳に、学園の変わらない空気に文句をつけ……自分から動くことを放棄してきた。
だから今は少しでも良いから見つけた楽しさを更に良いものに変えていくために努力したいと思っている。

「……うん、なんとなく夕呼が村上君を気に入った理由が分かった気がするわ」
「気に入られているんですかね?」

日々、苦行を強いられている身としては素直に喜べなかったり……、
その苦行も俺自ら望んで受け入れている感も否めなくは無いけど……俄かに信じられない。

「まあ、彼女……あんまり本音を口にするタイプじゃないからね。はっきり言えば天邪鬼」

激しく同意です。
あの人の真意なんて宇宙の神秘を知るより困難だろう。

「でもね。この間一緒に食事したとき村上君の話を楽しそうにしていたのよ」
「はあ……」

笑いものにされていたってことか??

「『あいつは本当に面白い』……ってね。夕呼にしたら最上級の褒め言葉。
まず彼女が特定の人物に対して強く興味を引くって事が無いのよ。だから村上君……とても夕呼に買われているし、多分……頼りにされている」
「そんな事……無いで……」
「彼女ね……結構、敵が多いのよ」
「えっ……」

夕呼先生の性格を考えれば予想がつかなくは無かったけど、親友である神宮司先生からそんなストレートな表現を聞くとは思わなかった。

「大学入学以前から彼女、とても有能でね。大学生の時点で教授達と対等に討論できるだけの知識と能力があったのよ。
最初こそ皆、羨望の眼差しで夕呼を見てた。もちろん私も……。でも過ぎた能力っていうものはどこでも軋轢を生むもの、夕呼もその例に漏れなかったの……」

その先の神宮司先生の話は俺にとって衝撃でしかなかった。
有能であったからの孤独。
それは凡人の俺には理解することは出来ない苦しみ。
自分の研究に対して協力的でない大学の教授たち。
それどころか研究の妨害を受ける始末。
権威のポジションを奪われんとする老獪の仕業に夕呼先生は苦しめられたらしい。
いや、今でもその枷を引きずらされている。
多分、夕呼先生は今まで何度も学会に自分の論文を提出してきたはずだ。
でもそれは正当な評価を受けることが出来ず、酷いときには成果を横取り……。
あれほどの才を持った人が一学園の教師に甘んじている理由がやっと理解できた。



神宮司先生も最初は夕呼先生のことが苦手だったらしい。
どういう経緯で出会い、知り合い、様々な衝突を経て今の関係に到ったのか……この短い時間の中で神宮司先生は掻い摘んでだけど語ってくれた。
そして最後に


「私は研究のことで夕呼の助けになる事は出来ない。だからって訳じゃないのだけれど村上君、あなたが出来うる限りでいいの、夕呼の手助けをしてあげて。」
「どうして……そんな大事な事を……」
「夕呼が自分の研究を本気で誰かに手伝わせているのを見るのは私が知る限り村上君、あなただけだから。」
「神宮司先生は俺を過大評価しすぎです。夕呼先生はただ人手不足だから……」
「本当にそう思ってる?」
「えっ!?」


神宮司先生はそれ以上何も言わず背を向けて作業に戻ってしまった。

俺はその姿に何も聞くことが出来ずに仕方なく白紙の通知表に視線を戻すことになった。
神宮司先生の頼みに明確な答えを出せないまま夏休みを迎えてしまうことになった。
それでも夕呼先生に夏休み出勤を強要されたときにすんなり受け入れてしまったそのときの俺はすでに8割方、
神宮司先生の頼みを受け入れていたのかもしれない。

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